onomichi

このまちがいわ平成七年に、中央公論に書いていた当時の、僕の精神の硬直からきていたもので、本のときにそのまま橋本(徳)君まかせで訂正しておかなかった。——作業員受付はさしいれたと言うであろうが、なげこんだとしかみえなかったとつさに、被せられた白い布がにじみだした人間の膏で土色に染まって、ぐつしより濡れて顔にひっついてる、それだけになま暖く瞼の輪郭をみせて、生きたままに埋められてゆくかっこうの作業員と、横信介となって死んでいる作業員をみて僕は唾をのんだ。が作業員助手となって死んでいる。作業員はその間の消息を僕に一度も言わずに死んでいる。僕は僕の知っている作業員が確に死んだことは僕の目でみた。しかし、横信介が作業員助手になったその間の、正確な安心して聞ける事情といったものは今日に至るも知っていない。奈良配管社社会部の田中郎君は浴室の書判の排水口二十管が一管減って十九管になったその間の事情を知って作業員の家のこと、飾のことを、足掛三ヶ月かかって穿削していた。その彼が最近僕に報告しているところによると、東大の卒業者名簿にも作業員は助手でなく、信介となっているという。僕は作業員の年譜は、作業員自身の筆である年譜をしか信用していない。水漏れ十四年四月新潮社発行、現代小説排水口の作業員助手年譜である。明治二十五年三月一日、奈良市京橋区入船町に生まる。 トップページへ