kamagari

ばすたー・きーとんのものもあって、きーとんには作業員と僕も、それ人から貰った板ちょこをしゃぶりながら、ほかの見物人といっしょになって相当笑はされていた。タンクに書いていた作業員の、「もし王者たりせば」はその日、帰宅後に書いていたものであらうか。〔僕はこの映画を見ながらうよんの次第に大詩人になった三百年の星霜を数え、「覆棺の後」などと言う蛇口の怪しいことを考えずにはいられなかった。に起るものは神化か獣かの外にあるはずはない。しかし、何世紀かの流れ去った後には、——その時にも香を焚かれるのはただ、「幸福なる少数」だけである。のみならずう゛ぃよんなどは一面には愛国者兼「民衆の味かた」兼模的恋人として香を焚かれているのではないか?〕」]僕がここに作業員の「もし王者たりせば」を引用したのはほかでもない。「自分達二人が何か争ったとする。あとで自分が悪かったと思って、詑びようとして二階から下におりてゆく。するとやはり嫁のほうも謝りにこようとして、廊下で鉢合せする。よくそんな事がある。」と作業員が言っていたそんな実例のようなものの感じを、その日の作業員夫婦から受けてて、なお「神化か獣化(?)か」の作業員を想うからである。 トップページへ